滝が無いのに「滝宮」?「このご飯、ハタダじゃわ」に残る、こんぴら街道の記憶|水野一典さんの茶話会レポート

「これは、ハタダじゃわ。」

綾川町で一番高松寄り、東部の一部の地域に「畑田(はただ)」というところがあります。

ROUTE24DESIGN絡みですと、こちらの記事で紹介している、農薬をほとんど使わない米作りに取り組まれている、長尾さんの田んぼがあるのが畑田ですね。

この畑田という地名の呼び名に、実は、今回の話の主題である「滝宮」が栄えた歴史と、深いつながりがある、と水野さんは仰います。

 

今回は、9月23日(水・秋分の日)に、綾川町・滝宮の「讃岐の宿 古今」で開催する「綾川町の歴史についての茶話会」の第2弾開催を前に、前回、今年の4月19日(日)に開催した会で、どんなお話が聞けたのか、印象深いエピソードを少しご紹介しようと思います。

 

「9月23日の会に行ってみようかな、でも、どんな話が聞けるのか気になるなー」と思ってらっしゃる方、是非参考になさってください。

漢字は当てにはならん

前回のテーマは「滝宮の歴史」でした。綾川町がよく謳う「うどん発祥の地」でも、菅原道真公で有名な「天神さん=滝宮天満宮」でもない角度から、この町を辿ってみよう・・・という会です。

語り手は、香川県民俗学会 会長の水野一典さん。

滝宮念仏踊保存会 牛川組の代表で、綾川町文化財保護協会の副会長でもいらっしゃいます。

お茶とお菓子を片手に、画面に地図を映しながら、気づけばたっぷり1時間半。それでも話は尽きないまま、お開きになりました。

 

この讃岐の宿古今の所在地でもある、綾川町は「滝宮(たきのみや)」。

冒頭の「畑田」と同じく、これも近く、恐らくは滝宮神社の横を流れる綾川に、今はもうない(見えなくなった)滝がかつては存在しており、それに由来するのだろう、ときっと多くの綾川町民が考えているのでは、と思います。

が。

水野さんのリサーチと見立てによると、それは全然違う、と。

綾川は、流れが他より早い箇所はあっても、「滝」と呼べるほどの高低差がある場所は、少なくともこの近辺には無かった、と。

では、なにが「滝」?この地域には何があったのか?

 

水野さん曰く、それは「崖」のことだと。崖のことを古い方言で「だき」と言っていたそうなのです。え?崖なんかここら辺にあったっけ?

今は流れの変化や草木が生い茂ってわかりにくくなっていますが、ちょうど滝宮神社のあたりは、岩が削られて崖のようになっていた(なっている)そうなんです。

 

だきのところにお宮があって、「だきのみや」が「たきのみや」と変異し、「滝」の字を当てるようになったのだろう、と。

 

ここで参加者の方から質問がありました。「滝宮という字で、「たきのみや」の『の』は、何故書かなくなったのか?」

これは昔の人の「読み癖」で、苗字の「四宮(しのみや)」も字にはないけど「の」を入れて読むし、そもそも菅原道真も「の」は無いけれど「すがわら『の』」と読む。それと同じだそうです。

誰しも「滝があった」説をぼんやりと思っていたので、お話会冒頭に出されたこのエピソードで、皆さん一気に水野ワールドに引き込まれた、というわけです。

 

天神さん・・・より先に、それはここにあった

かねてより、学問の神様として、受験シーズンになると香川県中から人が集まる、滝宮天満宮。

念仏踊りも、天満宮での奉納がメディアでもよくとりあげられますが、こちらの記事でもご紹介しましたが、念仏踊り行列のために道幅が大きくとられたのは、滝宮神社への道筋。

この土地の本丸、大元は天満宮ではなく滝宮神社の方で、創建の歴史もかなり古いのです。

 

奈良時代、和銅2年(709年)に、時の高僧・行基が綾川のほとりに祠を建てたのが、滝宮神社の興りだと伝えられています。それから100年の時代が下った平安時代、荒れ果てていた祠を再建し、龍燈院を開基したのが、あの空海です。

その滝宮神社、現在は須佐之男命(スサノオノミコト)をご祭神としておりますが、明治の神仏分離までは牛頭天王(ごずてんのう)の社として、崇められていました。

Wikipedia(牛頭天王(吉野曼荼羅、西大寺所蔵)より

インドで水と病の神さまとされ、仏教とともに日本へ渡って、須佐之男命(すさのおのみこと)と重ねられた神さまです。京都の八坂神社も、同じ系譜ですね。

 

牛頭天王は元はインドはヒンズー教の神様で、水と病気を司るとされています。仏教とともに日本へ渡って、須佐之男命と重ねられた神様です。

「昔は、水が病気を媒介するからね。水が病気を運んでくる。だから病気の神様でもあり、水の神様でもあったわけや。」

綾川という水の流れのそばに、水と病の神様が祀られたのは、ある種、必然だったのかも知れません。

 

そして、その綾川も、今とはその流れ・姿が違っていたそうです。

滝宮神社から川をはさんで反対側に、滝宮公園があるのですが、そこに弁天宮(厳島社)が祀られています。

「今ではもう府中ダムができて水位が上がってしまうとるけどな。あの弁天さんのお宮の向こうで、川が蛇行しとるんよ。で、そこが『オミタラさん』言うて、淵になっとったんよ。伝説では、阿波の鳴門まで抜けとったという。そんだけ深かったいうことやな。」

時代の変遷とともに、こうした歴史の名残もどんどん見えにくく、分かりにくくなっているのですね。

旅籠が5軒。こんぴら街道いちばんの宿場町だった滝宮

高松と金毘羅さんを結ぶ、こんぴら街道。滝宮はその道中で、いちばん大きな宿場町だったそうです。滝宮だけで、なんと旅籠が5軒もあったそうです。

そして、話はこんぴら街道をたどって滝宮の外へと広がって行きます。

高松から来る旅人にとって、金毘羅街道屈指の難所が、滝宮と同じ綾川町内にありました。それは、畑田にある「十三塚」。今も地名に残っています。

今の我々は、車でぴゅーっと通ってしまって、あまり意識されませんが、隣の(高松市)岡本から見た場合には、かなりキツイ道程なのです。

「岡本から急に降りて、ほんでまた急に上がるけんの。昔は高松から人力車に乗ってきたら、 十三塚で一つの区切りだったと言って、そこで店とかに寄ったけんな。」

十三塚の細い通りには、今も仕出し屋さんの看板が見えますが、もしかすると江戸時代の金毘羅街道の頃から続く、当時の名残なのかも知れません。

そして、道程の長さを示す「一里塚」の話も印象的でした。この一里、時代や国、地域によって、基準となる長さが違ったんだとか。なので、塚には「何町」と刻まれたそうで、最終的に60町と36町に落ち着いた?とか落ち着かなかったとか。

そしてこの道しるべ(塚)自体は、驚くべきことに、現代でも時々持ち去る人がいるそうです(笑)。何に使うんやろ・・・と思わないでもないですが、そういえば、身近なところで塚が盗まれている痕跡を、私も目にしていました。

綾川町小野の白梅神社近く。盗まれた塚の代わりに、手書きの看板が設置されていた。

水野さん曰く、「いや、これは盗んでの、庭に飾る人がおるんや」だそうです(笑)。

街道を通るからこそ分かる、ご飯が傷みかけたら「畑田」

さて、冒頭の「畑田」の答えです。「ごれはハタダじゃわ。」この言葉が何を意味し、どう滝宮と関係するのか。

十三塚でも触れたとおり、高松から金毘羅さんへ向かう旅人は、街道屈指の難所を通り畑田を越え、陶(すえ)を抜けて、滝宮へと入りました。

現在の琴電でも、畑田駅の次が陶駅です。

水野さんのお話では、高松の西の方、鬼無や香西の方では、ご飯が痛む一歩手前の状態を「ハタダ」と呼ぶお年寄りの方が、いらっしゃるそうです。

ご飯が「ハタダ」・・・?

 

なぜそう呼ぶのか。

 

それは「畑田(ハタダ)」が「陶(スエ)」の手前だからと。綾川町の地理に詳しく、古い言葉遣いに詳しい方であれば、ピンと来たかも知れません。

 

若い世代ではそう呼ぶ人は少ないかも知れませんが(かく言う私も、そうです)、食べ物が傷んで酸っぱくなることを、「饐える(すえる)」と言うんですね。

・・・

もうお分かりですね(笑)。

「饐える(すえる)」=「すえ(陶)」の一歩手前。だから「はただ(畑田)」。

 

ただの駄洒落やん!と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、水野さんは、

「(高松から来て)畑田を通って、陶を抜けて、滝宮へ向かう、その街道のことを知らなんだら、こんな言葉は出来てこんからね。この言葉が残っとるということは、それだけ人の往来が多かったということ」

と解説されていました。

日々の食卓の言葉の中にまで、旅人の歩いた道程がそのまま残っているんですね。そして、現地を歩き、そこに住む人に直接お話を聞かれた水野さんならではのエピソードに、参加者の皆さんもとても関心されていました。

 

では、この畑田に関するエピソード部分を音声ファイルとして書き出しました。水野さんの語り口と合わせ、その部分をお聞きください!

水野さんによる「畑田」という地名に関するエピソード

 

【9月23日】この続きは「祭」の話です

そして9月23日(水・秋分の日)、第2弾を開きます。

今回のお題は【 綾川町、そして中讃地域の祭 】。秋祭りシーズン直前だから、たっぷり祭の話をしていただこう!という主旨です。

ただ、今回のレポートでも分かる通り、水野さんのお話は、どこへ転がるかは、当日になってみないと分かりません(笑)。

ただ、実際に現地を歩き、集められた情報は、水野さんの語り口と相まって、とても活き活きと感じていただけると思います。

そして、地域限定だからこそのディープなお話で、より深くこの町のことを知っていただける機会にもなります。

すでに参加希望の方からは、水野さんへの質問も届いています。水野さんに聞いてみたいことも合わせて、皆様のご応募、お待ちしております。

  • 日時:2026年9月23日(水・秋分の日)14:00〜16:00
       (13:45 受付開始)
  • 場所:讃岐の宿 古今(香川県綾歌郡綾川町滝宮1351-8)
       琴電琴平線 滝宮駅より徒歩5分
  • 参加費:1,000円
  • 定員:10名程度
  • お申込:こちらのフォーム、または Instagram 、Facebook X のDMからご連絡ください。
         ・お名前
         ・参加人数
         ・当日連絡のとれる連絡先
         ・水野さんに聞きいてみたいこと(ある方のみ)

  

  

讃岐の宿古今