ふるさとの声は、限りなく小さい。|綾川町ふるさとウォーキング 牛川編

綾川町|ふるさとウォーク牛川

綾川町文化財保護協会が主催する令和8年度総会記念行事「ふるさとウォーキング 牛川編」。約50名の参加者とともに、綾川町は牛川地区に点在する史跡・文化財9か所を巡るイベントに参加してきました。

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今はもう竹藪。その向こうに山城があった【牛川城】

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最初のスポットは【牛川城跡】。綾川町高齢者コミュニティセンターの南側、小高い丘に築かれた中世の山城です。

 

城主は香西氏・羽床氏に仕えた山田弥七郎とも伝えられ、後の牛川地区の大庄屋・水原氏の祖先とも言われています。

 

郭(くるわ)の跡や堀切など、山城の構造が地形にそのまま残っているそうですが、今は深い竹藪に覆われており、外からその面影を見ることはほとんどできません。(今回も、山の中には入らず、外からの解説のみでした)

  

そのとき、ガイドの水野さんがふと言われました。

「わしが小さい頃は開けとって、ここで遊っびょったんやけどなぁ」

  

かつては開けていて子どもたちの遊び場だったその丘が、今は竹に覆われてしまった。「その土地の変化」とは、何も遠い昔からの、歴史の中だけの話ではなく、今を生きる私達の話でもあるんですね。

 

 

道の神様が守る、かつての村の境界【塞之神】

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続いては、【塞之神(さいのかみ)神社】。「塞」は要塞(ようさい)の塞。外部からの侵入を防ぐために築かれた、堅固な守りの構えを意味する字です。

   

「塞之神(さいのかみ)」とは、まさにその字のごとく、外からやってくる災いや疫病、邪霊の侵入を「塞ぎとめる」神様のこと。 

  

村の境や峠、道の辻など、「ここから先は別の世界」という境目に祀られ、人々の暮らしを守ってきました。村から出ていく者を守り、外からの災いを塞き止める道の神様。

  

つまり、この場所はかつての牛川村の境界と考えられ、かつての村の領域はここより南側、山の手側だっであろう、ということです。

水野さんの説明によれば、古来、人が生活するうえでの恵は山の方が多く、それゆえ人は山側に多く住んでおり、後に、平地側の「タニ」へと降りて来るようになった。そして、「タニ」と「タニ」が結びついて部落が広がっていった、と。

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なので、この塞之神が示す村の境界の中心というのは、現代の感覚でとらえる村の中心=平地側ではなく、ここよりも南の山側だということなんですね。

  

ちなみに、昔の人は旅に出るときにここへ参り、柴を折ってお供えし、旅の無事を願っていたとか。

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「あしはの神に小柴さし 我は祈らん 帰りくまでに」と歌を詠めば、足に怪我することなく帰ってこられる、という云われが残っているそうです。     

 

 

古墳の上に、東向きに立つ神社【大塚神社】

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今回のイベントで最も驚かされたのが、大塚神社および大塚神社古墳でした。

 

境内の南北両方に鳥居のある大塚神社は、古墳時代中期(5世紀頃)に築造された「帆立貝形古墳(前方後円墳)」の上に建っています。後円墳の直径は約40m、全長約55mと想定される、この時期の羽床盆地では最大規模の古墳と言われています。

 

ここが古墳・・・と言われても、古墳といってイメージするのは小高い丘。この大塚神社の境内はほぼ平地と変わらない高さだったのですが、ここで水野さんが「あちら(北側)にも、鳥居があるでしょう。あちらを見ると、境内が小高い位置にあると分かると思います。」

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ここでは弥生時代後期からの掘立柱建物跡や、多量の土器も出土しており、その頃から周辺に部落があったと見られています。どうですか、普段お参りしている神社が古墳の上に建っているとしたら・・・

 

最後に大塚神社についての面白いエピソードを。

 

牛川地区の氏神さまでもある大塚神社は、神社としては珍しく東の方向を向いています。実は、大塚神社はかつて西分の常清という谷に祀られてあったそうです。

しかし、そこで氏子同士の争いが勃発。祭が出来なくなってしまいました。そんな折に、大水が出て、社殿ごと高須というところまで流されたのをすくいあげられ、祀られたのが始まりとされています。

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「要はケンカわかれしたようなものですからね。元おった方向には、向きたくないということでしょう(笑)」という水野さんのユーモアあふれる解説に、参加者からも自然と笑いが漏れていました。

 

 

わずかな地名に、隠された記憶【蔵ノ前】【タワラ屋敷・モリキヨの地蔵】

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「蔵」が残る地名は各地にありますよね。この牛川地区にも「蔵ノ前」と呼ばれる、行基菩薩の作とも伝わる大日如来の石仏(「ギオンサン」)が、祀られている場所がります。

 

この場所の北側に、高松藩に収める年貢の蔵があったことから、「蔵の前」と呼ばれるようになったとされています。

  

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また、今では何もないように見える川沿いには「タワラ屋敷」と呼ばれる場所があり、かつて平家の落人(他の地域の例にもれず、綾川町、とくに綾上地区にも平家の落人伝説が多く残っています)屋敷があったとされています。 

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川を挟んで西側には「モリキヨの地蔵」と呼ばれる、平家の落人を弔うために建立されたとされる地蔵が。

 

道路拡張工事の際に掘り返したところ、人骨が出てきたり、付近では錆びた刀が出てきた、という話も伝わっているそうです。 

 

  

 

この地域の記憶が宿る【どじょう汁】

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どじょう汁。

その名の通り、あのどじょうが、まるまる一匹(といわず、二匹、三匹と)打ち込みうどんに入っている。慣れない人には、なかなかのインパクトです(笑

 

私もはじめ(この地に引っ越してきて)、名前の通りどじょうが入っているのを見て、衝撃を受けました(まさかホントにまるまる入っているとは、ねぇ・・・笑)。

 

香川(以外でも食べるのだろうか)でこのような形で食されるようになったのは、田植えの際に田んぼや川ざらえでとれたどじょうを、作業後の滋養強壮として皆で食べるようになったのが由来とも言われています。

 

全てを人力で、家族や地域の人達が力を合わせて米作りをしていた頃の、地域の名残であり、記憶を伝える食文化なんですね。

 

そう考えると、ふるさとウォーキング後に、羽床上地区活性化協議会の方達が、私達参加者のために、この「どじょう汁」を振舞ってくださった意味が、とてもよく分かります。

 

牛川地区の歴史を体で知った後に、この土地の食をいただく意味を、まさに五感をもって味あわせて頂きました。

 

 

ふるさとの、地域の歴史の声は限りなく小さい。

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今回巡った牛川地区の歴史遺構はどれも、気を付けていたとしても、素通りしてしまうほどに、とてもひっそりと奥ゆかしく、この町の風景の中に溶け込んでいます。

 

道ばたの小さな祠、竹藪に覆われた城跡、古い鳥居の先にある古墳。もし案内もなく訪れたとして、どれほどの人が気づき、立ち止まることができるでしょうか。

 

急速に進む過疎化を背景に、地域の「云われ」を知る古老の皆さんが次々に鬼籍に入られる中、かつてこの地に生きた人々の記憶もまた、ひとつひとつ、静かに失われようとしています。

 

だからこそ、水野さんのように、実際に土地を歩き、話を聞き、歴史をつなげられる方の存在が、どれほど貴重であるかが分かります。

 

豊富な知識にユニークな語り口。かつてここに生きた人々の記憶を、今を生きる私たちに届けてくださる。それは単なる「歴史の解説」ではなく、小さくとも大切な記憶を活かすための、地道ではあるけれど、確かな営みだと思います。

  

ふるさとの歴史の声は、限りなく小さい。
しかし、まだ消えてしまったわけではないのです。 

 


主催の綾川町文化財保護協会のみなさん、羽床公民館をはじめ、どじょう汁まで準備くださった羽床上地区活性化協議会の皆さん、綾川町教育委員会の皆さん、ありがとうございました。

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