祖父のカメラOLYMPUS OM-1との出会い

10代前半までに受けた衝撃は、しばしばその後の人生に決定的な影響を与えることが少なくありません。

中3の春。亡くなった祖父の遺品の中に、そのカメラはありました。
OLYMPUS OM-1。

ISO感度も、絞りも、シャッタースピードも、露出計の見方も、何も知らない受験生が、祖父の遺品のシャッターを初めて切ったのが、レストアから戻って来た夏の頃でした。

近くの公園で試し撮りした写真の数々は、ピントは合っておらず手振れしている上、とんでもないオーバーな仕上がりでした。しかし、この白飛びだらけの写真が、良い意味で私に衝撃を与えます。

いつも見ている公園のフェンス、その向こうに見える車、そこにある遊具や椅子、そして足元に生えている草花。普段何気なく見ている風景が、この小さなレンズとボディを通すと、こんな風に見える(写る)のか―と。

カメラという小さな箱を通して分かる、この世界の面白さを、祖父が教えてくれた―
その時、私には本当にそんな気がしたのです。

このオールドカメラと共に

15歳で引き継いだこのカメラは、その後、山口で暮らした大学時代の思い出を写し、結婚式という人生の節目を記録し、生まれくる自分の子ども(そう、祖父が自分の孫を写したように)の思い出を刻み、父の遺影となる写真を残す(父の誕生日に、たまたま孫と一緒に写真を撮っていた)ことになります。

その後、浪人・大学時代に培った文章構成・表現力は、自らの撮影スタイルと組み合わせることにより、フライヤー制作から始まり、今ではHPの依頼も頂くまでになる、その礎となりました。


サラリーマン時代に叩き込まれたビジネスマナー・スキル、多種多様な業種の皆様に出会えたお陰で、事務代行やOffice製品によるデータ作成、PPTによるデザイン作業など、皆様のビジネス活動を幅広くサポートできるスタイルの確立に至りました。

写真撮影のみだった撮影業務は、いつしか動画撮影・編集の分野が多くなってきました。

この先、自分のスタイルがどの様に変化していくのか、皆目見当もつきませんが、その中心にはいつも、私よりも歳上のオールドカメラがいることだけは、変わりないと思います。